武装警察による襲撃の痕跡

9月10日の夜の様子です。
武装警官隊による弾圧の後も、混乱は続きました。運動の中心となっていたイディンタカライ村は言うまでもなく、その他の近隣の村々にも警官隊が押し寄せて略奪行為を行いました。

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イディンタカライ村では、この1年間にわたって拠点としてきた集会場が完全に破壊されました。そして、共同炊事場も執拗なまでに破壊されました。この1年、毎日のように数千人の村人たちがハンストや集会で集まり続けた集会場です。多くの人々が食べものを寄付したり協力して食事を作ったりして運動を支え合った大切な炊事場でした。保管されていた食料も荒らされ、土まみれの残骸として残されました。

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人々は衝撃を受け、恐怖におびえています。地域の住民たちは、村ごとに、学校ごとに、またはその他の場所ごとに、とにかく寸断されて取り囲まれ、お互いに連絡を取り合うこともできません。ライフラインもストップしたままです。

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多数の死者が出た、逮捕者が続出している、再び警察が襲撃してくる、などさまざまなうわさが飛び交うなか、人々は不安に耐えています。村には、飲み水がありません。海辺の村にとって、飲み水の供給は命綱です。しかし地元行政は、周到に準備して水道を寸断させています。

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著名な活動家であるサンガミトラ・ガデカルさんは、政府が1990年代の中頃にカクラパール原発の稼働を強行させた際も、全く同じ手法がとられたと指摘しています。当時も、1人の若者が警察の襲撃によって殺され、村は略奪され、村人にとって唯一のタンパク源であった牛乳の輸送が徹底的に妨害されたといいます。
クダンクラムの運動の主体が女性や子どもたちであることを考えると、ライフラインを寸断するということがどれほど非人間的な戦術であるかが身にしみます。「クダンクラムのためにできるすべてのことをやろう!」という呼びかけのもと、インド各地で連帯抗議行動が起きています。