クダンクラムに連帯する日本人3人がインドで入国拒否に

 

みなさま

日本のマスコミでも取り上げられましたが、910日にインドのクダンクラム原発で平和的な抗議デモに対する大弾圧がありました。クダンクラムの人々は世界に連帯を呼び掛けており、私たちも925日にインドを訪問しようとしました。しかし、下記の書簡に書いたような出来事があり、入国拒否され強制送還となりました。

私たちのような小さな個人を標的にして入国を拒否するような、秘密主義と非民主的な態度がいったい何をもたらすのか、強い懸念を覚えます。そのような閉鎖された文脈の中で、武装警官隊が民衆に催涙ガスやこん棒で襲いかかり、力で民衆を抑え込みながら核がさらに膨張していくことに恐怖を感じます。

この経験と懸念を広く知ってもらいたくて、英文での書簡を発信しました。インドのウェブページに掲載されました。

http://www.dianuke.org/a-nuclear-free-future-is-our-common-dream-letter-from-the-japanese-activists-deported-from-india/

下記は、その日本語訳です。

クダンクラム原発はロシア製ですが、日本はインドとの間で日印原子力協定の問題も抱えています。核も原発もない世界を目指すインドと日本の人々が、国境を越えて手を取り合えるよう、私たちがなすべきことを地道に続けたいと思います。読んでいただければ嬉しいです。

ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン事務局

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核のない未来をめざす友人たちへ

 タミルナドゥ州で、クダンクラム原発に反対する歴史的な運動が続いています。世界中の人々が、その闘いに感銘を受け、連帯の意を表明したいと思っています。

私たちも、連帯の思いを伝えるため9月25日にインドを訪問しようとしましたが、チェンナイ空港で入国を拒否されました。1時間以上に及ぶ取り調べの後、入国拒否の書類に書かれたことばは「Inadmissible person(容認しがたい人物)」でした。欧米から核の商人を次々と呼びこんでいるインド政府が、私たちのような小さな市民の入国を拒否したことは、許されることではありません。私たちの経験を皆さんにも知っていただきたくてこの手紙を書いています。

 チェンナイ空港で飛行機を降りて入国カウンターの方へ歩いて行くと、1人の係員が微笑みながら近づいてきました。

 私たちは彼に、到着ビザはどこで手続きをするのかと尋ねました。彼らは即座にわたしたちのパスポートを確認すると、入国管理事務所について来るようにと言いました。5人以上の職員がいて、それぞれ尋問されました。宇野田さんだけは別の部屋に連れて行かれ、開口一番「ノーニュークス・アジアフォーラムの活動家だろう」と言われました。その職員が「反原発運動のために来たんだろう」と聞くのではなく、具体的な団体名を言ったことに彼女は驚きました。

「クダンクラムに反対する国際請願に署名したな? あなたの名前も乗っていたぞ。つまりあなたは反原発だということだ」とも言われました。私たち三人ともが、今年5月に取り組まれた国際署名に賛同していました。すると次に別の職員が「クダンクラムに行って何をするのか?」と詰問してきました。誰もクダンクラムという地名を一言も言っていないのに、彼らがクダンクラムの話を持ち出したので、さらに驚きました。しかしその男性職員は、私たちが乗ることになっていた国内線のフライトスケジュール表のプリントアウトを私たちに向かって突き出しました。私が、まだ見たこともない書類でした。なぜこの人たちがすでにそれを持っているのか?

「あなたたちが国内線を予約したことはもうわかっている。だから、いくんだろう?誰があなたたちを招待した? 今ここの到着ゲートで待っているのは誰だ? トゥティコリン空港に誰が迎えに来る? 彼らの名前を言いなさい。電話番号も言いなさい。抗議行動に参加するんだろう!」彼らは大声で矢継ぎ早に質問してきました。そしてさらに驚いたことに、彼らはすでに私たちのインドの友人たちの名前を知っていたのです。私たちは恐怖を感じました。友人たちに何かが起きるのではないかと感じたのです。私たちは答えませんでした。

  原発に賛成する科学者や、原子力産業から金をもらった人々が次々とインドを訪れ、原発を擁護する発言を行っていることはよく知られています。こうした人々のインド訪問は、インド政府によって許可されて行われているというよりは、奨励されて行われています。インドが民主主義を標榜するなら、反対の見解を述べることも奨励されてしかるべきなのではないでしょうか。

 すると職員たちは、分厚い書類に目を通しながら、私たち自身のことも問い詰め始めました。「渡田さんの職業は?彼は上関原発の反対運動に関わっているだろう?」その書類を間近に見ると、3人がそれぞれ日本で取り組んでいる活動について多くのことが書かれていました。彼らはすでに詳細に調査を行っていたのです。

 彼らは、いろいろな質問をして情報を得ようとしました。最初のうち、彼らはにこやかに話していました。クダンクラムの運動について知っていることを話せば入国させてやる、と言った職員もいました。しかし、徐々に彼らはいら立ってきました。私たちをできるだけ早く強制退去させたかったのです。1時間半ほど前にクアラルンプールから私たちをチェンナイ空港まで乗せてきたエアアジアの飛行機が、チェンナイで乗客を乗せて再びクアラルンプールに向かうところでした。彼らは、私たちをその飛行機に乗せたかったのです。私たちの取り調べが始まってから、すでに1時間半もたっていました。1人の男性職員が言いました。「5分以内に全部答えなさい。そうでなければ強制退去だ」と言い放ちました。私たちは、答えられる範囲で答えましたが、その内容は彼らを満足させるようなものではなかったようでした。私たちは出国エリアに連れて行かれました。その途中、私たちはトイレに行かせてほしいと頼みましたが、拒否されました。トイレの中からインドの仲間に電話で連絡を取られるのがいやだったのかもしれないし、私たちが彼らの目の前で電話を取り出して誰かインドの活動家に連絡を取るのを待っていたのかもしれません。彼らはとにかく、私たちの友人たちの名前と連絡先を執拗に聞いていたからです。

最後のゲートで、なぜ強制退去になるのかと職員たちに聞いてみました。すると若い男性職員が「インド政府がそのように決めたからだ。従わないなら牢屋に入れ」とにこりともせずに言いました。私たちが乗り込むと、飛行機はすぐに飛び立ちました。

退去に際して、入国拒否の理由が書かれた書類を渡されました。難解な文章ですが、「クアラルンプールからチェンナイ空港に到着したこの外国人は、インドへの入国を拒否された。1948年施行の外国人令の第6節で規定されている行動に外れた行いを取る可能性があるので、できるだけ早い航空便で国外に追放する」というようなことが書かれていました。

私たちは、原発の危険性についてさらに学ぶために、平和的にインドを訪問しました。日本人として、軍事利用であれ、いわゆる平和利用であれ、核の持つ問題について知っておかなければなりません。インドでは、原子力産業による国際会議が開催され、原発関連企業の人々が国賓のようにしてやってきて、自分たちの商品を見せびらかしています。私たちには、何も売るものはありません。私たちにあるのは、原発がもたらし得る危険と痛みについてのたくさんの証言だけです。インド政府が私たちを入国拒否とし、インドの人々が私たちのために温めていてくれたもてなしの気持ちを無にしたことは、本当に残念なことです。民主主義の社会においては、とりわけ原発のように複雑な問題を含んだ技術については、抑圧されない雰囲気の中で、自由で公平な議論を尽くす必要があります。インドの原発推進側に、自由で公平な議論への準備ができていないことは明らかです。

日本では、福島事故後に国会で組織された事故調査委員会が今回の事故に関して、秘密主義や、国民の疑問を政府が無視していたこと、原発を規制する者と原発を運転する者が癒着していたことなど日本特有の事情によってもたらされた面があると指摘しました。

原発に関して自分たちとは違う意見を持っているというだけでインド政府が私たちを入国拒否にしたことは、民主的な理想や言論の自由に関して脆弱であることの表れではないでしょうか。私たちは、このように秘密主義に貫かれた抑圧的な文脈の中で、原発のような危険な技術を導入することの結果を考えると、非常に恐ろしく感じます。

今回、私たちはクダンクラムの人々や、クダンクラムの人々に心を寄せる人々に会うことができませんでした。彼らに会えなかったことは、本当に残念でした。しかし入国を拒否されたことによって、私たちの懸念はさらに強まり、連帯の思いはさらに強まりました。原発推進側は、世界規模で緊密に連携しています。そして、核の被害にも国境はありません。ならば私たちも、国や言語の違いを超えて、何千、何万の仲間たちが手をつなぎ合って、核のない未来のために共に闘いましょう。次の機会にインドでお会いできることを願っています。

渡田正弘(上関原発止めよう!広島ネットワーク)

中井信介(ビデオジャーナリスト)

宇野田陽子(ノーニュークス・アジアフォーラム・ジャパン事務局)

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