9月10日前後にクダンクラム現地で何が起きていたかの詳細報告

10日の詳細な出来事とその前後の様子について、Dianukeサイトに投稿された、Nityanandさん(チェンナイの活動家)の報告から抜粋しました。99日の大規模デモ、それに続いて10日に起きた弾圧、その後の様子などがわかります。警察は、デモ隊を弾圧するだけではなくて、村人の心のよりどころを一つひとつ破壊することで運動を潰したいと考えている様子が伝わってきます。

原発輸出の問題を考えるときに、現地では具体的にこうした弾圧が起きうるということを私たちが知っておくことは重要だと思います。

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 報道関係の友人によると、警察の精鋭部隊がすべてクダンクラムに召集されており、運動を一気に壊滅させるという戦略に打って出るらしい。公安関係者は、女性警官2人が行方不明になっていると報じている。村人たちは、警官を人質になど取っていないと否定している。村人たちに対する非難の声を社会の中に作り上げ、警察による弾圧を正当化するために、こうしたうわさが流されているとして、村人たちは不安を強めている。こうした文脈から、これ以上不測の事態が起こらないよう、ウダヤクマル氏とその他の中心的リーダーは、今晩(911日の夜)、著名な政治指導者らと共にクダンクラム警察に出頭すると述べた。(訳注:村人たちの強い反対によって、ウダヤクマルさんは出頭しませんでした)

 

昨日の悪夢が続いている

 原子力規制委員会がクダンクラム原発への核燃料装荷を許可したことに対して、PMANEは民衆が原発99日に包囲することを発表した。無数の武装警察がこの地域に投入された。この日、子どもや女性たちを含む8000人から1万人の人々が、イディンタカライ村やそのほかの近隣の村から集まり、イディンタカライの教会を出発した。

彼らは舗装道路は避けて、海沿いの小道を歩いて行った。道路は、原発から800メートルの地点ですでに警察に封鎖されていた。人々は砂浜に座り込み、自分たちの闘いをここで続けると宣言した。リーダーのウダヤクマル氏は、タミルナドゥ州政府が介入して、反対している民衆の要求にこたえてほしいと語った。浜辺で長時間座りこむことは大変なことであるが、すべての人々が砂浜にとどまり続けた。

 910日の朝、10時半ごろ、武装警官隊が鉄のたがの入った棍棒をもって集まってきた。小競り合いが数分間続いて、武装警官隊は遠くへ退却した。不穏な静けさがあたりに満ちた。すると、武装警官隊の隊列が見る間に膨れ上がり、暴動鎮圧などを想定した装備の隊列が最前線に整列した。催涙ガスの装置も設置された。

 そのような中、2人の若者がクダンクラム原発に向かって船で漕ぎだそうとした。デモ参加者はそれに反対し、警察に許可を得て2人の方へ行き、砂浜の座り込みの地点まで戻るよう説得した。2人が戻ってきたところ、ティルネルヴェリ警察署長の命令で、警官隊が彼らを取り押さえた。これをきっかけにして場が騒然となり、なぜ戻ってきたのに2人を逮捕するのかと人々は警官隊に問いかけた。11時半ごろ、警察署長はデモ隊に対して、10分以内にデモを解散しなければ実力行使に出ると申し渡した。

 デモ隊の最前列には女性たちがいた。そこが、最も原発に近い地点であった。子どもと男性たちは砂浜に沿ってイディンタカライ村の方向へと並んでいた。攻撃が始まる直前、警官隊の隊長が、デモ隊の最前列に向き合うのではなく隊列の真ん中に移動するよう指示した。デモ隊の男性と女性を分断するためである。

 タミルナドゥ州のすべての人々がこの出来事をすべてテレビで目撃していた。その場にいた報道記者たちも同様に、10分間のカウントダウンと共に催涙ガスによる攻撃が始まったことを誰もが見ていた。

 現場にいたあるデモ参加者によると、「警官隊が2人のボランティアの若者を小突きまわし始めたので、女性たちが警官に向かって叫び声をあげ、そこに多数の人々がどっと集まってきた。すると警官隊がそこへ駆け寄ってきて、棍棒による殴打が始まった。私たちに向かって催涙ガスが発砲されたことなど、全く気付かなかった」と話している。

 テレビの映像を見ると、催涙弾が多数発射され、警察はデモ隊の中に突っ込んでいって警棒を振り回して人々を殴打している。武装警官の大群と海に挟まれて、女性や子どもたちは足もとの砂を手ですくって警官に投げつけて何とか応戦していた。子どもたちは、まさに混乱の極みの中にいた。多くの男たちが海に飛び込んだ。警官隊が石や棒などを男たちに向かって投げながら、「砂浜に戻ってきたら痛めつけて殺してやる」と脅していた。この時の状況を話してくれた情報元によると、警官はある若者が持っていた携帯電話をみて「あいつが爆弾を持っている」と叫んでいたという。

 運動の重要なリーダーであるサハヤ・イニタは警官隊の標的とされ、重傷を負った。テレビのインタビューによると、ウダヤクマル氏は安全な場所に移動することができたが、その際に狙撃されたと話した。ウダヤクマル氏がボートで海岸を離れようとした際に狙撃されたことは、そばにいた多くの参加者が目撃している。

 

マスコミ関係者も負傷

 タイムズナウのカメラマンは意図的に標的にされて負傷した。この衝突は砂浜で起きたが、警察の別の部隊はそのとき別の場所にいてデモ参加者が乗ってきて駐車していた車を破壊していた。たった一人、その様子を撮影していたのがタイムズナウのカメラマンであった。警察は彼を襲撃し、重傷を負わせた。カメラマンは、少なくとも額に4針縫う大けがを負った。彼のカメラは破壊されて海に投棄され、テープは抜き去られていたと言う。

 その他にも、警察によってメディア関係者のバイクが3台破壊されたという情報もある。

 

警察による破壊行為

 別のカメラマンからは、次のような証言も得た。警官たちは組織的に、海岸に停泊していたボートのエンジンも破壊した。さらに1人の巡査が砂浜に張られたテントに放火しようとしたが、写真に撮られていることに気づいてやめた。しかし巡査はあきらめられないのかもう一度放火しようとして、カメラマンに向かって邪魔をするなと罵倒した。警察によって、テントは引きずり倒され、ライトやスピーカーも破壊された。この日の昼にデモ参加者にふるまわれるはずだった昼食がテント内に準備されていたが、その料理にも大量の砂が投げ付けられた。

 

イディンタカライ村に入る

砂浜で混乱が起きていた間に、武装警察官の別動部隊約400人は、イディンタカライ村に入った。マスコミは砂浜での暴動のような状況を取材するのに忙しく、村に入った警官隊の後を追った者はいなかった。警察は家を一軒一軒しらみつぶしに調べ、男性がいないか探していた。その警官たちが海岸沿いに回ったとき、150200人の若者が集まっているのを見つけた。若者たちは驚いて海に飛び込んで逃げた。警官たちは砂浜から発砲しながら、戻ったら殺してやると叫んでいた。

 

教会での冒涜行為

 同じ時に、警察はロードゥ・マーサ教会も破壊していた。聖像が破壊され、警察は教会内で叩いたり放尿したりした。デモ参加者のために教会の外に張られていたテントも引き倒され、明かりが破壊された。貯水槽も破壊された。村人によると、タミルナドゥ州上下水道局が所有する公的な給水設備も破壊されたという。

 この様子を隠れて見ていた村の女性によると、白い腰布とシャツをつけた見慣れない男が警察車両に投石しており、一緒にいた警察官がそれを写真に撮っていたという。

 ニュース報道によると、クダンクラムのパンチャヤット事務所とTASMAC (政府管轄の酒類販売所)が村人によって放火されたと報じられているが、村人たちはそのような事件はそもそも起きていないと主張している。酒類販売所の外に設置されていた防火布のひさしが壊されたことは事実だが、パンチャヤット事務所もTASMAC も放火どころか傷も付けられていないと村人は話している。

 この日の夜、村では約65人が逮捕された。2時から3時にかけて、警察が一軒ずつ村人の家をしらみつぶしに捜索していた。

 

現在の状況

嵐の前の静けさのような不穏な状況である。イディンタカライ村への必要最低限の供給がストップしている。昨日の混乱のため、特に警察によって貯水槽が破壊されて以来、ここには水がない。911日の午前9時半の時点で、警察の検問があるトーマス・マンダパムですべての輸送がストップしている。地域の人々が、トラックで水を運び込んでくれた。

 910日の夜に、五つの村への電力供給が遮断されたと報じられた。報道によると、ウダヤクマル氏などリーダーを見つけ出すために、村人の電話が盗聴されているとのことである。

 数時間に及ぶ警察による弾圧の間に、タミルナドゥ州南部中の漁村に、燎原之火のごとく抗議行動が広がった。トゥトゥクディのマナッパド村ではアンソニー・サミー(40)が警官に撃たれて亡くなった。1万人以上の人々がトゥトゥクディ駅に結集して線路を占拠し、マイソール特急を2時間以上遅延させた。

 

負傷者、逮捕者、病院搬送者

砂浜では多くの人々が逮捕された。あるジャーナリストによると、昨日25人が逮捕されたという。

 報道によると、1人の子どもの頭に催涙ガス弾が命中し、現在ティルネルベリ医科大学病院で危篤状態になっているとの情報がある。この件については、まだ正確な情報は得られていない。

 タミルナドゥ州では、立場の弱い人々が行う抗議行動に対して、過剰な暴力で対応することがこれまでも繰り返されてきた。1999年にはティルネルベリで、労働条件の向上を要求したダリット(カースト制度で最下層に位置付けられた人々)の茶葉工場労働者17人に対して、警棒で武装した警官が追跡の末に川に追い落とすという出来事があった。ちょうど1年前にも、パラマクディにおいて、ダリっとの人々がリーダーであるインマニュエル・セカラン氏を囲んで集会を行っていたところ、警官隊が集会に乱入し、銃撃によって6人が死亡、30人以上が負傷する事件も起きた。

 

連帯抗議行動

 チェンナイ、ティルッチ、コインバトーレ、トゥトゥクディ、カニャクマリ、ティルネルベリ、ニューデリー、デリー、ケララ、トリヴァンドラム、カルカッタなどで、市民による道路封鎖、大学生によるキャンパスへの立てこもり行動、漁民による抗議行動など様々な抗議行動が行われた。